Study & Picnic — スタディとピクニックを行き来する
“Study & Picnic”、これは、もともとは私が短い期間所属していた会社のスローガンとして設定したのですが、そこを離れてからも自分の行動理念にマッチしていて手放せない言葉になっています。編集者とコンテンツ・ディレクターを一応の肩書きにしている自分が、この言葉を掲げる理由について少しメモを残します。
THE PLAN プランを把握しろ
TENETをIMAXで観てきました。コロナ禍でライブに行けなかった2020年、エンディングで流れるトラヴィス・スコット「THE PLAN」の爆音が良すぎて、ああライブに行きたいなあ! とうずうずむずむずしてしまいました。帰りの車で大音量でリピート再生しましたよ。
そんなTHE PLANはこんなコーラスから始まります。
You don’t know where we stand
It’s true
Know the plan
THE PLAN/Travis Scott俺たちがどこにいるのかお前は知らない
本当だ
プランを把握しろ
(【和訳】THE PLAN|Travis Scott/WOTS)
「プランを把握しろ」
近頃の私のテーマもこれでした。
プロジェクトに関わる中で、根性に頼りがちなところと、一方で効率を求めるところが自分の中にはあります。これって、問題を先送りにしているのか、ささっとやってしまうのかの違いはあるけれど根っこは同じで、「面倒くさがり」だから起きていることなんですよね。
それで、どっちの面倒くさがりが有益かというと、やっぱり後者になるなと私は思います。
例えばヒアリング中にDropbox Paperでぱぱっと要件定義書めいたものを作ったり、Slackのスレッドで議事録を書いてしまったりするのも、「この後一旦PCを離れて休憩した後に“よし、ドキュメント作るか!”となる自信がほぼない」からなのです。
明日の自分に期待して、でもできなかったいくつものことがあるのです。私はその点において自分が信用できない。面倒くさがりだからこそ、とにもかくにもプランに手をつけよと自分に課しているのです。
自分がどこにいるのかまだわからないのでプランを把握しろ、なのです。
とりあえずやろうの強さと、仮説の上での研ぎ澄まされた狙い。どっちに対してもプランは機能します。本質から出発する旅です。
そしてこのプランが、スタディとピクニックの糸口になります。
スタディ⇔ピクニック
ここで言うスタディは、調べたり見聞きして情報を得ることです。
先入観を手放して、机に材料を並べ、それがどんなものなのか知っていく作業です。まだ知らなかったこと、知っているつもりだったけれど理解していなかったこと、別の角度や人からはどう見えているのか、そういったひとつひとつの情報を味わいます。
ピクニックは、そこにいろいろなフィルタをかませてみることを指します。別の言い方をすると、脱線、余談といった脇道に逸れるようなイメージです。
スタディで味わった情報はまだ「なるほどなあ」レベルだとします。
そこにどんな解釈を加えるか、関連度合いは問わずに考えてみます。なにかスイッと飛躍する、あるいは越境するようなことが生み出されるのではと試します。
そのやり方は、連想ゲームのように派生した情報を調べたり、スタディした内容を図にしてみたり、メンバーとラフに会話してみたりといった感じです。このプロセスを私はピクニックと呼んでいます。
ピクニックという言葉をあてている理由は、汎ヨーロッパ・ピクニック(ヨーロッパ・ピクニック計画)から来ています。後にベルリンの壁崩壊のおおもとのきっかけとなった出来事です。Wikipediaの記載が詳しいので、ぜひ読んでみてください。
このようにスタディとピクニックを行き来していきます。そうすることでプランが精緻化し、制作するものの特徴が目立っていくと考えています。
スタディとピクニックは、真面目と不真面目、と取ることもできるかもしれません。しかしそこまで単純なものでもないように思います。もしかしたら、不真面目にスタディして真面目にピクニックする必要もあるかもしれません。わかんないですけど。
スタディしているつもりが気づいたらピクニックしていた、は結構あると思います。家の外壁をもくもくとペンキ塗りしていると思ったら途中からしょうもない絵を描き始めていたときのような。まあ、つまり、そういうウィットのようなものを持っていたいよねということなのです。